この段階では、従来のジャパンツアーと同様に独立採算で、スポンサーからの協賛金による運営を予定していたのである。ところが結果的に日本選手権という看板によって加わったスポンサーはごくわずか。さらに参加選手の数も想像をはるかに下回るもので、資金的に開催そのものが危うい状態となってしまった。そこで理事会での協議の結果、日本選手権をJFAの事業として位置づけ、一定の予算措置をおこなうこととなった。
ともあれ参加人数という問題点はあったものの、男子は新旧実力者のスーパーファイナルが行なわれるなど、ハイレベルの見ごたえのあるコンペとなった。体験クライミング用にも立派なタワーが立ち、裏の事情はともあれ、イベントとしては大成功といえたのではないだろうか。
なお来年以降であるが、現実問題として競技会開催の経済的条件は厳しく、独立採算による開催の維持は今後とも困難と思われる。競技からJFAが一切手を引くと言うことでない限り、今後は日本選手権、ユース選手権を競技におけるJFAの二大事業として明確に位置づけ、予算的にも対応していかざるを得ないだろう。
横浜 みなとみらい21
クィーンズサークル
3月26〜27日
JFA日本選手権は過去には“大倉カップ”の冠のもと、1989年から1994年まで毎年行なわれていた。その後はUIAA(ICC)と同様に2年ごとを目標に1996年(有明)、1998年(福井)、2000年(つくば)と順調に行なわれていた。しかしながら、日本経済の失速はとどまることを知らず、競技委員会としては瀕死のジャパンツアーを継続することが精一杯となり、日本選手権は封印されたまま時が流れていった。
2004年末、ジャパンツアーが終了。このとき日本選手権を復活させることを同時に決定した。これによってJMA(日本山岳協会)とJFAが、ジャパンカップとジュニアオリンピック、日本選手権とユース選手権、ふたつずつ大きな大会を開催するというのが、バランスの良い状況と思われた。
問題は実際の大会だが、これは迷うことなくすでに開催が予定されていた“横浜ロックマスター”に決定。ウォール設置には困難があるが、それを補ってあまりあるロケーションの良さ。あの場所でさらに日本選手権ということなら、スポンサー集めも楽であろうとも考えた。
会場は今年もクイーンズスクエア1階の
吹き抜けスペース
会場の外では、協賛各社のブースの他、体験クライミングのコーナーもあり、多くの人でにぎわった
撮影:北山 真
協賛
株式会社ワコール | 株式会社ゴールドウイン |
有限会社パワースポーツ | ラフマ ミレー株式会社 |
株式会社カモシカスポーツ | 株式会社アートスポーツ |
株式会社アシックス | 株式会社エイ アンド エフ |
株式会社キャラバン | 株式会社ハミックス |